谷川永久さん87歳とのご縁印 12月15日
――お逮夜参りの折に交わした、今生のご挨拶。
本日、私はお参り先である谷川永久さん(八十七歳)のお宅へ、お逮夜に参らせていただいた。谷川さんは、パソコンやスマホ、所謂IT関連のものを自由自在に操り、数々の資格をもち、英語も達者で、家までご自分で建てられるという、本当に万能なお方である。私にパソコンの手ほどきをしてくださった師でもある。
その一週間ほど前のことである。谷川さんから、私のもとへ一通のメールが届いていた。
そこには、二か月ほど体調不良が続き、そして、今回のお逮夜をもって、今後は続けることが難しいというご判断に至った経緯が、簡潔に記されていた。
文章は、終始丁寧であった。
弱音も愚痴も、そこには見当たらない。
ただ、事実を一つひとつ静かに受け止め、整理し、
これまでのご縁への感謝を、淡々と綴っておられた。
「老衰による身体の各部が衰退しています」
その一文に、私ははっきりとした覚悟を感じた。
聴力の低下。
耳鼻科での検査と、高額な補聴器の購入。
幾度かの指導を受けながらも、満足な結果には至らなかったこと。
さらに、食欲不振が続き、元気が出ないこと。
それらを谷川さんは、誰のせいにもせず、
「一過性のものかと思っていましたが」と、
まるで天候の移ろいを語るかのように、静かに受け止めておられた。
本日、お宅に上がらせていただき、谷川さんと向き合って話をした。
表情は穏やかで、笑顔も以前と変わらない。
しかし、身体の奥に沈んだ疲労と衰えは、言葉以上に確かな重みをもって、こちらに伝わってきた。
やがて、会話の流れの中で、
私たちは、こんな言葉を交わした。
「次にお会いする時は、枕経になりますね」
それは、冗談でも軽口でもなかった。
住職と門徒として、
また、人と人として、
今生の別れを、生きているうちに確かめ合った瞬間であった。
多くの場合、別れは突然訪れる。
何も語られぬまま、顔を合わせることもなく、
気がつけば、という形で終わることが少なくない。
しかし、谷川さんは違った。
ご自身の状態を正しく伝え、
静かに区切りをつけ、
「ここまでのご縁」を、はっきりと共有してくださった。
それは、私にとっても、忘れがたい時間となった。
今日のお逮夜は、
単に読経をする場ではなかった。
「ここまで一緒に歩いてきましたね」
「ちゃんと見届けますよ」
その確認を、互いに無言のうちに交わす場であったように思う。
谷川永久さん、八十七歳。
静かで、誠実で、凛としたその姿を、
ひとつの記録として、ここに留めておきたい。
なお私は、その折に、
「体調のよろしい時には、どうぞ気軽にお声がけください」
と、谷川さんに申し添えた。
逮夜という形は終わるとしても、
人と人との縁までが、そこで断たれるわけではない。
ご縁とは、結び直すものではなく、
気づけば、すでに在り続けているものなのだろう。
合掌
西信寺住職 釈 一心



