9月のカレンダー

山口県下関市 照蓮寺 岡村 遵賢

「ご恩送り」いただいた「ご恩」のおすそわけ
「恩」という言葉は、「おかげさま」とも言い換えることができます。「おかげさま」とは、私がどうにかしたのではないということです。あなたがどうにかしてくださったときに「ご恩」や「おかげさま」という言葉が出てくるのではないでしょうか。この世において、「私がやった」と言い切れることが果たしてあるでしょうか。
まず、この時代に生まれたこと、日本に生まれたこと、人間であったこと、ミミズではなかったこと…。努力も成功も、出会いも別れも。最初から目指してそうなったことは一つもありません。無数のご縁に左右されながら、一から十まで偶然がつきまといます。
親鸞聖人は「遠く宿縁を慶べ」とお示しになりました。私がお念仏のお救いにあずかり、お浄土参りの身となったのは、「たまたまだ」とおっしゃるのです。このたび、お寺の本堂に足を踏み入れた、この手が合わさった、この口にお念仏を申したならば、それは私の努力ではなかったはずです。「祖母に手を引かれて参ったのが初めてで」、「父のお葬式がご縁で」、「お寺のご案内を見て」…。私からしたら「たまたま」のご縁。しかし、阿弥陀さまからすれば、遠く遠くはるか昔から、「必ずあなたを浄土に救い取る」とよびかけ、はたらいてくださった結果でありました。そのことを親鸞聖人、「遠く宿縁を慶べ」とおっしゃるのです。親鸞聖人の90年のご苦労も、蓮如上人の巧みな御化導も、我々のご先祖さま方が残してくれたお仏壇も、お寺の本堂も、ただ今この私のところまでお念仏のご法義を繋げてくださるためであったといただいたとき、たまたまと思っていた些細なことまでも、大きなご恩の慶びに変わります。
今日もまた、たまたまの一日が過ぎてゆきます。しかし、もうどこへ向かうかわからぬ迷いの人生ではありません。本日もまた、お念仏とともにお浄土への道中。どこでどう倒れようとも。必ず浄土の仏にするという阿弥陀さまの揺るぎないよび声「南無
阿弥陀仏」を、おかげさまで聞かせていただきました。ご恩の歴史が、繋がっていきます。
山口県下関市 照蓮寺 岡村 遵賢