6月のカレンダー6月1日

釋一心のひとこと

見えるものだけが すべてではない

広島県広島市 西念寺 宮武 大悟

 仏教では対象を認識することを「見」といいます。今月のこころのともしびカレンダーの言葉も、目で見ることだけではなく私が認識し、思い至ることの全てを指して「見える」と表現されていると理解してお話いたします。

 三男が一歳になるかならないかの頃、京都西本願寺に初参式を受けに行きました。ご本山で初参式を申し込むと、普段は入れない結界(柵で区切られた場所)の中でお焼香をさせていただくことができます。あつらえた一歳児サイズの色衣と五条袈裟を着させて、一緒に結界の中に入れていただきました。すると参詣者の方々から「キャー、かわいい」と注目の的に。三男もそれを察してかお愛想して手をフリフリ。いざお焼香と、香炉を前にすると不思議なことが起こりました。手遊びしていた三男の両手がピタッと合わさり、ジッと香炉を見つめているのです。それを見た祖父母や私は「合掌した、合掌した。広海くんが合掌した」と大喜び。「お念仏よろこぶ人に育ってくれるかねぇ」、「いやいや偉いお坊さんになるかもしれん」。恥ずかしくも「偉い」などと、親のエゴまでつけ加えて…。

 さて三男ですが、初めてご本山のご本尊に向かい、よろこびあふれて両手を合わせたのでしょうか。いや、一歳ですから所詮は手遊びの延長、たまたま両手が合わさっただけでしょう。しかし、その姿をよろこんだのは親の方でした。

私たちも合掌し、お念仏いただくほどのお育てを受けながら、真の意味でその事をよろこべてきたでしょうか。阿弥陀さまのお心に思いが及んでいるか、今も疑わしいことです。けれども、そんな私の合掌やお念仏を、阿弥陀さまは何よりもよろこんでくださいます。所詮、私の思いなど至らぬことばかりです。私のよろこびに腰を据えるのではなく、阿弥陀さまの親心を真実とするみ教えです。阿弥陀さまがよろこんでくださっていると味わいながら、お念仏させていただきましょう。広島県広島市 西念寺 宮武 大悟