4月のカレンダー 4月5日

釋一心のひとこと

縁起 縁によって咲き 縁によって散る

熊本県八代郡 西福寺 布教使 三原 哲信師

私がお預かりしているお寺の境内には、桜の樹が一本あります。満開が近づくと、毎年ライトアップをしています。白いLEDに照らされた我が家の夜桜はとてもきれいで、私は夜な夜な椅子に座り、長い時間眺めて楽しみます。

 しかしそれも長くは続きません。雨が降らなければ約2週間、雨が降れば10日間くらいしか持ちません。咲き誇るまでが私の喜びのピークで、あとはだんだんと悲しみが訪れます。

あるとき、「この悲しみはどこから来るのかな…?」と、ふと思いました。例えば近所の桜が散ることはあまり悲しくありませんが、うちの桜が散るのはとても悲しく残念です。やがて気が付きました。それは「うちの桜だから悲しい」「私の桜だから悲しい」ということです。

 同じように、私は「私のものだ」ということを原因に悲しみに出会ってきました。例えば病気になると不安になるのは、私そのものが損なわれてゆく実感があるからです。仏教は「私というものの濃度が濃ければ濃いほど、苦しみが増す」と考えます。桜と同じように生まれてきて終えていくだけなのに、私はそれを苦と受け取っています。

 その私を、阿弥陀さまは絶え間なくよび続けてくださいます。生まれてきたならば死んでいかねばならない。しかしその死を、「お浄土に生まれ往く『往生』だと聞き開きなさい。念仏者は死なない、念仏者に死はない」と、よび続けてくださいます。このよび声に出遇うとき、私の死の意味が変えられていきます。

生まれたら死ぬ。このことを変えることはできませんが、その意味をどう紡いでいくのかが、お念仏の教えです。

熊本県八代郡 西福寺 布教使 三原 哲信師