2020 パラリンピックでおもうこと 9月2日

釋一心のひとこと

先日お参りさきで、『何かしらブログのお題はございませんか?』と。そしたらご門徒さんのNさんから『パラリンピック!』とお題を頂戴いたしましたので、思いのまま作文に。

824日から95日まで開催されますパラリンピックですが、さまざまな障害を持ちながら、水泳、陸上、柔道、馬術、競輪、ラグビー、バスケ、卓球等々出場は多岐にわたっています。障害者が夢を、勇気を、そして可能性を見出せるためのパラリンピックときいております。テレビ観戦していますが、どの種目においても、アスリートの方々があまりにも凄すぎて。

一番凄いなと思った種目は、車椅子を使った競技。テニスやバスケット、特にラグビーは車椅子同士がおもいきりぶつかりあいのど迫力のタックル!車椅子の操縦のテクニック、スピード、車椅子ごとぶっ飛ぶというものすごい迫力なんです! 例えばオリンピックで車椅子ラグビーが正式種目となったら、健常者は間違いなく歯が立たないとおもいます。

ある障害者の方は、こんなことを話されていました。『障害者の中で競い合うことは、たしかに大切なことかとおもいます。でも僕らは健常者のいる世界でも、闘える、やればできるんだと言うところを見てほしい』と。

またある記事には障害者の方が、このようにはなされていました。『都内の小中学生が観戦に。ありがたいんですが、僕らは見世物ではない!同情や哀れみはいりません』と悲痛な声を。

先日神戸新聞に健常者と障害者が、ともに車椅子で野球を楽しんでいる写真がありました。お互いにどちらも本当に楽しんでおられるのが読み取れる一枚の写真でした。健常者と障害者と同じ土俵で‼️

健常者中心の社会は身体の不自由な人、弱者である障害者を社会全体で助け合いましょうという思い、障害者を護るという観点から、良かれと思って、障害者というレッテルをはり、障害者という枠組みに嵌め込みました。

障害を持っている知人は思いのうちをこう話してくれました。『障害者を護ってくださる社会のシステムは本当にありがたいのですが、障害者はできるだけ、健常者と同じ世界に属したいのです。がしかし、一旦『障害者』というレッテルを貼られ、障害者という枠組みにはめ込まれてしまうと、いつまでも弱者という哀れみを持った目でみられ、同情され、社会と共存どころか、小さな世界から脱出することができずにモガキ苦しんでおります』と。

時代も大きくかわりました。これからは、偏見に満ち溢れた枠組みを取り払い、少しでも健常者と同じ世界で生きていける、そういう社会を目指すことこそが、彼らに勇気を与える、夢をあたえる、それこそパラリンピック憲章で謳っている共生ではないのかと強くおもいました。垣根がとりはずされ、オリンピックに参加、活躍できる種目が少しでも加わることを願っております。 南無阿弥陀佛 合掌

追伸、最近ホームページの問い合わせ窓口に、法事の日時の相談、通夜、葬儀の段取りの仕方、納骨檀の使用等々、ご質問が増えてきております。皆さまもお気軽に何なりとご利用いただけましたらと思います😆