![](https://saishinji.site/wp-content/uploads/2021/07/img_0798.jpg)
寺院掲示板の法話[Facebookより]
おはようございます。👆掲示板にこのような言葉をみつけました。
人間とは、全て自分を主観として物事をみます。私たちは、主観を離れて、世界を観ることは出来ない。しかし、立場が変われば、見方も変わります。
仏教では、『一水四見』と教えられますように、欲目と都合で私達は世界を見てしまいます。
『一水四見』
(いっすいしけん)仏教用語。同じ水でありながら,天人はそれを宝石で飾られた池と見,人間は水と見,餓鬼は血膿と見,魚は自分のすみかと見るように,見る心の違いによって同じ対象物が異なって認識されること。唯識説で用いられるたとえ。一処 (いっしょ) 四見,一境 (いっきょう) 四見ともいう。[コトバンク]
追伸、 われわれ人間は、自我を離れて生きていくなんて、本当にできないことなのでしょうか? 逆に、自我を捨てる とは、どんな状態を云うのでしょうか? 仏さまの状態をいうのかもしれません。 南無阿弥陀佛 合掌