掲示板 8月25日

釋一心のひとこと

おはようございます。日々生活しておりますと、いろんなシーンで、プラス思考が得意な人、マイナス思考になってしまう人、どちらもできる人と、さまざまなのでございます。

例えば…

『学校行くの嫌!勉強が大嫌い!苦痛!でも給食は美味しい〜!』って言う子もいれば、『学校楽しい!勉強できるし、お友だちとも遊べる!』

『トイレ掃除すること自体が、めんどくさい、キチャナイ!』と思う人もいれば、いえいえ『お掃除しながら綺麗になっていくのが楽しい』と喜びを感じながらできる人。心の持ちようなわけでございます。

皆さまご存知のとおり、仏教では生老病死の四苦に「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の四苦を加えた八つの苦があります。(ご法事で、『四苦と八苦で十二苦かいな!』って、足し算大好きのある爺さまがいらっしゃいました😆『ご安心ください。そないに沢山苦はありません😆』ってお伝えしましたら、安堵の表情をされてました😆)

ご参考までに。四苦八苦の語源は仏教です。仏教の目的は「抜苦与楽(ばっくよらく)」です。
https://1kara.tulip-k.jp/buddhism/2017011521.html

私、中高生の頃、学問ができないことに悩み、背が伸びないことに悩み、彼女ができないことにモガキ苦しみ…いろんなことに悩み苦しんだ時期がありました(今思うとまったくたいしたことのない、悩みでございました😆)

しかし、ある日気がついたんです。苦痛苦しみっていったいなんだろう⁉️って。自分の思い通りにならないことを苦痛と感じているんだなぁて。自分の意思でどうにかなることは、なんとか楽しみにもっていけるのですが、相手、他人様がからんでいる問題とか、強制的にさせられている事案、自分の意思ではどうにもならないことこそが、苦痛になってしまうことに気がついてしまったのです。四苦八苦がその根本たるやですね。

仏教では「苦しみ」という言葉がよく出てくるのですが、「思い通りにならない』ことこそが、苦しみなのです。

乗り越えられない苦しみを乗り越えようとすると、もっと苦しみに陥ります。乗り越えないで、『あ〜こんなもんか』とか『なるようになるさ』と受け入れることが大切じゃないのかなと。苦しみの本質を知ることこそがもっとも大切なことではなかろうかと思います。南無阿弥陀佛 合掌

追伸、なんでもかんでも頑張らなくて良いのではないかと。取り除けそうな苦痛なら、努力して問題を解決。いくら悩んでも、解決しそうでない案件なら、悩まず受け入れる。『なるようになるさ〜』そう自分なりに勝手に解釈してしまってから、できることでも、乗り越えられそうなことでも、『あ〜無理!う〜この苦痛アカン』って努力しなくなってしまった自分がおります。心改め、今より精進いたします。いえ明日より😆