夕谷山(西坊)西信寺 歴代住職

釋一心のひとこと

お久しぶりでございます。お寺の歴史についてすこし調べものをしておりましたので、ご無沙汰してしまいました。

西信寺に現存しております最古の過去帳は、今から約300年前の正徳3年(正徳(しょうとく、旧字体:正德)は、宝永の後、享保の前。1711年から1716年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川家宣、徳川家継。)からのものです。残念ながら、それ以前のものは焼失若しくは紛失して残っておりません。

写真👇

その巻末に西坊(西信寺)の歴代住職の名前(法名)が、記されておりましたので、ご紹介いたします。

開基 信寂、2代 顕寂、3代 顕実、4代 了春、5代 了念、6代 了順、7代 了観、8代 了明、9代 了証、10代 了門、11代 了教、12代 教誓、13代 了説、14代 了閑、15代 了瑞、16代 了泰、17代 了現、18代 泰了、19代 義了、20代 照了、21代 了隠、22代 春満 で私一心が23代です。

初代信寂は、浄土宗法然上人の高弟で、1180年代に西坊を建立。西坊(西信寺)は、鎌倉時代(1180〜1336年)からの歴史があるわけです。

本願寺の歴代門主はと申しますと、親鸞聖人は、信寂上人の弟弟子になりますので、だいたい同じような時代を生きていることになります。

ご開山 親鸞 (1173 – 1262) – 宗祖

第2代 如信 (1235 – 1300)

第3代 覚如 (1270 – 1351)

第4代 善如 (1333 – 1389)

第5代 綽如 (1350 – 1393)

第6代 巧如 (1376 – 1440)

第7代 存如 (1396 – 1457)

第8代 蓮如 (1415 – 1499) – 中興の祖とされる

第9代 実如 (1458 – 1525)

第10代 証如 (1516 – 1554)

第11代 顕如 (1543 – 1592) – 戦国時代に織田信長などと対立

第12代 准如 (1577 – 1630) – 東西本願寺に分立

第13代 良如 (1612 – 1662)

第14代 寂如 (1651 – 1725)

第15代 住如 (1673 – 1739) – 寂如の養子で実父は九条兼晴

第16代 湛如 (1716 – 1741)

第17代 法如 (1707 – 1789)

第18代 文如 (1744 – 1799)

第19代 本如 (1778 – 1826)

第20代 広如 (1798 – 1871)

第21代 明如 (1850 – 1903) – 海外開教を実施

第22代 鏡如 (1876 – 1948) – 大谷探検隊を派遣。

鏡如の門主引退から勝如が得度・門主に就任するまでの間は門主不在となり、六雄沢慶(1914-1917)、近松尊定(1917)、武田沢心(1917-1921)、大谷尊由(1921-27)の4人が管長を務め、門主の務めを代行した。

第23代 勝如 (1911 – 2002) – 『正信偈和讃』を改譜

第24代 即如 (1945 – ) – 現「前門」

第25代 専如(1977 – ) – 現・門主

本願寺の門主専如が25代になりますので、西信寺が23代と云うのも頷けます。

西坊(西信寺)は、信寂上人から始まり由緒歴史のある寺院であることは、間違いありません。

頼んない23代目ですが、あともう少しの間、よろしくお願い申し上げます。合掌 南無阿弥陀仏