呂律(ろれつ)が回らない 1月25日

釋一心のひとこと

出身高校(兵庫県立西宮北高等学校)で一級上に、高野山真言宗の僧侶で、現在鷲林寺(じゅうりんじ)【西宮市】のご住職を勤めておられる先輩がいらっしゃいます。お名前を藤原栄善さまと申しまして、その先生のブログからの引用です。高野山大学で声明を教えておられます。私、この歳になるまで、言葉のなりたちは知りませんでした。大変お勉強になります〜感謝❣️(以下引用👇)

声明は「しょうみょう」と読みます。仏教音楽です。お経とか真言に音をつけて歌唱致します。真言宗、天台宗のものが元になっていますが、声明の曲節は歌舞伎・お能・浄瑠璃などに大きな影響を与えました。因みに私たちがお唱えさせて頂くのは南山進流声明という流儀です。
南山とは高野山の別名。進流とは大進上人流の略です。

「呂律(ろれつ)が回らない」という言葉の「呂律」について。これは声明における呂旋法と律旋法のことで、呂と律の表現がうまくできないことを「呂律(りょりつ)が回ってない」と言われてたものが、調子がはずれた状態ということで「呂律(ろれつ)が回らない」と言われるようになったのです。

他にも雅楽から来ているという説もありますが、声明も雅楽もほぼ同じ音律ですから同意になると思います。