八月のカレンダー 8月1日

釋一心のひとこと

亡き人が私と仏法の縁となる

8月、特にお盆の時期は先立っていかれた大切なお方を身近に感じられる季節かもしれません。我々はその方々を「ご往生くださったお方」「お浄土へ往き仏と生まれてくださったお方」と仰いでいくことのできる教えを今お聞かせいただいております。
いのちの「誕生」というのは、新しいいのちの始まり。とてもおめでたいことで、明るいイメージを持ちます。反対に「死」はどうでしょうか。いのちの終わりであって、暗く悲しいことであると見ていくことしかできません。しかし、よく考えてみると、いのち終わっていくことを「死」と名付け、暗いことと決めつけ、終わりや行き止まりと決めつけたのは我々人間でしょう。仏さまはそうは仰いません。それは「死」ではなく「往生」という言葉でいただきなさいと仰います。「生まれたものは、また生まれていくんだよ」そんな私には決して見出すことのできないいのちの見方をしてくださいます。

 「あなたのいのちはね、いつか必ず人としての境涯は終えていかなければならないけれども、それは決しておしまいじゃないんだ。お浄土で仏と生まれていくいのちなんだよ、始まりなんだよ。どうかそれまでの日暮らしは、『なまんだぶ、なまんだぶ』とお念仏しながら生きておくれよ」と仰います。それが今のわたしのいのちにかけられている仏さまの願いです。

 その願いを「あぁ、わたしのいのちはお浄土へ仏さまと生まれていくいのちだったのですね。そんな意味を持っていたのですね」とそのまま頷かせていただくことが大切でしょう。

 先立っていかれた大事なお方もまた、阿弥陀さまの願いのはたらきによって、お浄土へ生まれ仏さまとなってくださったお方です。今ここで、わたしの人生を願い、支え、導いてくださるお方としてご一緒くださっています。
「往生」という仏語は、わたしのいのちに新しい世界を開いてくださる大切なお言葉でありました。

広島県三原市 德正寺 徳正 俊平