お守り 12月2日

釋一心のひとこと

真宗の寺院では、お守りやお札を売ってないのは何故ですか?と


私たちは日々迷いの世界に生かされております。何か悪いことが起こらないようにと、あるいは悪霊が近づかないようにと、お守りやお札で、身を守ろうという思いがあります。

たとえば… 合格祈願のお参りを持っていましても、入試に失敗します。交通安全のお守りを持っていても、事故に巻きこまれたりしますし、無病息災のお守りを持っていても病気になったり死んでしまいます。

真宗の考えかたなのですが…結論から申しますと、真宗の寺院では、お守りやお札はおとり扱いはしておりません。

よもやよもやのお守り

誰しも不幸にはなりたいと思って生きている人はおりませんが、四苦八苦の世に生かされている我々の身にはいろんなことが起こります。起こって当たり前なんです。防ぎようはありません。ありのままに受け入れていきましょうという考えかたです。あかん時はアカンのです。

何かしら悪い事が身の上におこると、自らのことを省みずに人や物のせいにしてしまう。そのような弱い私たちを救わんと阿弥陀さまはいつも見守ってくださっています。阿弥陀さまの願いとは、この生き地獄のような人間界から、必ず救いとって仏として生まれかわらせてくださることなのです。この世に生かされていることをありのままに受け入れ、頼りにしていくのは、お守りやお札ではなく阿弥陀さまということです。

このような意味あいから、お守りやお札に頼ることがないのが真宗です。(販売できれば、寺院にとりまして、かなりの収益になるのですが…残念😆)南無阿弥陀佛 合掌

追伸、親や大切な友人が身を案じてお守りを授けてくださることがあります。その方の気持ちや思いが込められたお守りは大変ありがたく、大切にとって置いてます。人の気持ちや思いは絶対にすてられませんです😊

昔、心友から授かったお守り